仏壇前の提灯

時代によって変化していく葬儀。


 葬儀とは、本来、お亡くなりになられた方が、あの世にスムーズに行けるように、家族に代表されるような身近な人が、僧侶などの祈りの師の力を借りながら、祈りを捧げることを指しました。しかし、最近は、その概念を踏襲しつつも、この世に残された者の悲しみを少しでも癒し、形のあるうちに、亡くなられた方への愛や感謝の気持ちを伝えるためのものに変化してきているように思います。

 しかし、この新しい、最近の考え方が不謹慎なのかというと、そうではありません。まだ仏教などもない時代、いわゆる古代における弔いは、より現代的な考え方に近いものがありました。実際、いわゆる遺跡などから見つかる痕跡には、遺体の上に生き残った者が手向けた野の花束があったりもします。これ即ち、他の事項と同様に、葬儀もまた振り子のように、片方によれば、もう片方の方に戻っきただけのことだととることもできます。

 また、葬儀をするにあたって、今日では葬儀社にお願いをされる方が多いかと思います。祭壇の豪華さ・段数、飾るお花の量・ランクなどによって、思いのほか、費用がかかり、今の世は死ぬことも自由にできないとおっしゃる方もいます。しかし、その昔は、その家がどれくらいの経済力なのかなど、葬儀にいらっしゃる方なら、誰もが知っていることでしたので、それこそお布団の上に遺体があるだけというようなお式も普通にありました。過去に許されていたことなので、ご希望になるのなら、このような昔ながらの葬儀もしても構わないはずです。

 誤解のないように申し上げますが、私は今日、時折みられる盛大な葬儀の仕方を否定しているわけではありません。人間関係が希薄になった今日において、そうでもしなければ、遠く離れたところに住む親せきの方などと旧交を温めることが難しいのではないでしょうか。また、とある方が、葬儀について、葬儀はあの世に行く者がこの世に残る者に対する最後のご奉仕、最後の功徳なのだと考えてよろしいのですよとおっしゃっていました。だから、葬儀は、盛大にするも良し、シンプルにするも良し、この世に残る者の心が安らぐようにすれば良いかと思います。

 葬儀の終わりはやはりお亡くなりになられた方のお体のことになります。今日の日本では火葬が一般的ですが、実は歴史的にみると新しい傾向です。具体的な数字で日本全体の火葬率を見ると、戦後すぐは50%程、1980年代になってやっと90%台になりました。この変化の一番の原因は、墓地となる土地がなくなったことがあげられます。その証拠に、今日の東京都では火葬率がほぼ100%だと言われています。

 それでは、それ以前はどうしていたのでしょうか。火葬は、一部の高貴な方しかされることはありませんでした。その他の人たち、いわゆる庶民はどうしていたかというと、土葬が一般的でした。火葬の習慣は仏教の広がりと関係があります。庶民にも仏教は広く浸透していたのですが、土着の習俗も消えることなく残っていたため、このような違いが生まれました。

高級感のある提灯

 最後に、少しお口直しを。少しこまごまとした違いについても触れておきましょう。まずは色のこと。葬儀を色でイメージすると何色かと聞かれたら、多くの人が黒色を思い浮かべられるかと思います。しかし、昔の人に聞いたら、きっと白色という答えが返って来たことと思います。少し前に、歌舞伎役者の方がお亡くなりになられた時、奥様が白色の喪服を着られたことが話題になったことがありましたが、その昔は葬儀の時は白色の服を着ていました。写真などがなかった時代、それが事実であることを確認する術は、絵巻物などになりますが、事実であることが確認できます。ちなみに、黒色が一般的になったのは明治以降、西洋の文化が入ってくるようになってからのことです。

 次に、お花のこと。葬儀の時、祭壇に飾られる一般的に、白いお花や黄色いお花が使われることが多く、白い菊は中でも定番のお花かと思います。菊は日本人を象徴する花であるだけでなく、昔から比較的入手が簡単で、かつ、持ちがよい花として知られていました。ちなみに、仏教においては生花でなければいけないという決まりはありません。地方の葬儀に参加すると、紙で作られた造花のお花なども飾られていることからも分かることかと思います。しかしながら、最近は、ひまわりなどあまり葬儀には似つかわしくない花も、お亡くなりになられた方が好きだったということで祭壇に上ることがよくあります。唯一、昔も今も、葬儀であまり見かけないのは、首から落ちるのが縁起が悪いとされる椿の花くらいでしょう。

 いかがでしたでしょうか。時代が変われば、必要となるものが変わってきます。葬儀もそれと同様のことがいえ、時代時代に合った形に進化を遂げていきます。しかし、その根底に流れるものは、いつの時代も変わらず、お亡くなりになられた方を悼むという気持ちなのではないでしょうか。どちらにしろ、送る側となったら、心を込めて、後悔のない葬儀をしたいものです。